師走(しわす)(12月)のことば ―

 

()くほどは 風が()てくる 落ち葉かな』

 

今から200年ほど昔、越後の国の国上村に五合庵という小さなわら屋根のお堂がありました。そこの主は墨染めのやつれた法衣をまとった良寛さんです。子供たちとのかくれんぼに夢中になったり、毬つきに興じたり、村人たちと盃を交わしたり、歌を詠んだり、書で遊んだり・・・。慈味あふれるそんな良寛さんのこころを藩政に活かしたいと藩主の牧野忠精公は五合庵に立ち寄り、城下にお寺を建てて良寛さんをお迎えしたいと懇請します。しばらく静かに目をつぶっておられた良寛さまは、筆をとられて「炊くほどは・・・」の句をしたためられました。特別なものは要りません。あればあっただけ、なければないほどに充分に毎日を味わわせて頂いております。と、語られたかどうか…。なんだか良寛さまの落ち葉焚きのほのかな香りさえ伝わってきそうです。

「はにうの宿」という私の好きな歌があります。『♪はにう(粗末な)の宿は わが宿(住まい)/珠の装いうらやまじ/のどかなりや春の空/花はあるじ鳥は友/おぉわが宿よ/ 楽し友 たのもしや♪』映画「ビルマの竪琴」で水島上等兵が奏でていたあのイングランド民謡です。いずれも欲望に波立つことのない、こころ静かな心境でなければうたえません。

こぼればなし 〔臘八(ろうはつ)大接(おおぜっ)(しん) 

 

臘は12月のことですから臘八は12月8日を示します。そして大接心とは修行僧が坐禅に、禅問答にひたすら打ち込む大修行のことをいいます。

今から2500年前にインドの地で、お釈迦さまは王子様の地位を捨て、山に入って難行苦行をされました。命がけのご修行はまさしく死のふちまでご自身を追い詰め、死にかかっていたお釈迦さまは村娘スジャータに乳がゆを供養されて一命を救われたといわれています。その後一本の大きな木の下で静かに坐禅を組み、深い瞑想に入られました。何日も何日もひたすら坐禅三昧のお釈迦さまはある朝、明けの明星をごらんになって、長い間苦しみ抜いたあらゆる苦悩の根本的な解決がなされたといいます。いわゆるお悟りを開かれた瞬間です。12月8日(臘八)の未明のことでした。このことは仏教にとって、いえ全ての人々にとってとてつもなく尊く極めておめでたい出来事だったのです。なぜならお釈迦さまのお悟りは、信じる信じないにかかわらず、すべての人はひとしく尊く素晴らしい輝きを放っていると実証されたからです。人のみにあらず、すべての物、すべての事がらは何ひとつ無駄なものはないと断言されました。ただ…残念なことにわたしたちはそれに気が付いていないだけともおっしゃいます。実はわたしたちは最初っから救われているのだということ、そこに気が付いてほしいとお釈迦さまは願っておられるのです。

さて修行僧ですが、一年を通じて朝は3時ごろに目覚め夜中に就寝する間、お経を読んだり掃除をしたり托鉢に出かけたり、畑仕事や山仕事で汗を流したり、何日間も坐禅を組んだり講義を聴いたりとさまざまな修行が全国の道場で今でも行われているのですが、中でも取り分け厳格な修行が「臘八大接心」です。前述のようなお釈迦さまのお悟りにわずかでも近付こうと、古来より12月1日から8日までの一週間を一日と見なして命がけの修行が行われ続けて来ました。つまり大小便と食事以外は坐禅ひとすじ。この一週間は一睡もすることなく悟りに向けて精進していく訳です。中には脱落する者、気絶する者、発狂する者、命を絶つ者、悟りを開く者、何も変わらぬ者などさまざまですが、いずれにせよこのような修行が2500年以上も続いてきたことは、お釈迦さまのお悟りがどれほどかけがえのない偉大なことであったかがうかがい知れます。

わたしも今となっては遠い過去の経験となってしまってはいるのですが、あの京都の寒い寒いこの時期に行われたこの修行が、この季節になるとはっきりと思い起こされますし、今でも身震いのするほど懸命であったことや、そこに坐らせて頂けた法縁に、お釈迦さまに感謝せずにはおられません。実はこうしている今も日本中の禅の道場では、静かにあるいは激しく坐禅する雲水たちがいることにも涙があふれるほどありがたいことと心から応援せずにはおられません。我が弟子、啓眞禅士にも死んだつもりで坐れ!と・・・。

 

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