師走(しわす)(12月)のことば―

 

 



荻原井泉水(おぎわらせいせんすい:明治
17年生まれ)は季語や定型よりも自然なリズムと抒情を大切にした自由律俳句の先がけ的な俳人です。ですからこの『豆腐』という句も軽妙なリズムに乗せて豆腐の徳をこれまた軽妙洒脱にうたいあげています。ひところ京都の東福寺という禅宗のお寺で修行もしたようですが、最後の部分に『金剛経に「応無所住、而生其心(まさに住するところ無くして、その心を生ずべし)」』とありますが、これは有名な禅問答の一つで、彼の禅的境地の深さがそのあとの言葉からも読み取ることができます。自由自在にその場その場を生きる、ちょうど主婦が夕飯の支度をしているときに子供が帰ってきて、隣りの奥さんが回覧板を持って来て、そこへ主人から電話がかかってきて…つまり、主婦になりきって夕飯の支度をし、子供の「ただいま」の声に母になり、隣人には隣人として応対し、ダンナには夫人に自然と成りきっているその自由無碍、はからずもながら実はこれこそが禅的な働きなのです。

 井泉水の作ではありませんが、ついでに水の徳を表した「水仙人」をご紹介しましょう。


一、自ら活動して他を動かしむるは水仙人なり
二、常に己の
進路を求めて止まざるは水仙人なり
三、障碍にあい、激しくその力を百倍にするは水仙人なり
四、みずから清らかにして他の汚れを洗い、清濁あわせ入れるは水仙人なり
五、洋々として大海を満たし、発しては蒸気となり、雲となり、雨となり、雪となる。凝し                    
 てはては氷となり、しかも、本質を失わぬが水仙人なり
六、自身の形をなくして方円の器に従うが水仙人なり



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