弥生(やよい)(3月)のことば―

(さむ)からず また(あつ)からず この彼岸(ひがん)

                   (かたよ)り とけて (ほとけ)(あそ)ぶ』

 

暑さ寒さも彼岸まで。春秋のお彼岸のころになると暑さにもかたよらず、寒さにもかたよらず、昼と夜の長さも同じくらいになります。春はとくに草木が芽吹き、花は咲き、鳥たちは唄い、何もかもがいきいきと輝いて見えます。

 

私たちはふだん、衣食住に始まり自動車や電化製品、日用品にいたるまで目に見えるモノの恩恵にあずかった生活をしています。ときにそれらを必要以上に追い回したり、振り回されたりもします。ところが春の訪れは、日頃忘れがちな目には見えない不思議な力を感じさせてくれます。神さまや仏さま、いのちや自然と呼ばれる大いなる尊きもの。そのふところにいつも抱かれあることに気づいた私たちが「おかげさま」と感謝したならば、愚痴も消え、いのちのつながりと広がりにおのずと掌が合わさり、すべてのものにやさしくなれ、すべてのものをいとおしみ、すべてのものを許すことができるでしょう。

 

般若心経の最後に「ギャーテイ ギャーテイ ハーラーギャーテイ…」とあります。「行こう行こう彼の岸へ、かたよりもとらわれもない自由な彼の岸へ。手をたずさえ合ってはげまし合って渡ろうよ。」とでも訳しましょうか。これがお彼岸のこころです。

 

正光寺のホームページがリニューアルしています。 http://shokoji.net

 

こんなほのぼのとしたお話があります・・・

鎌倉の建長寺の管長様を50年以上も務められた菅原時保老師がよく語っておられた体験談です。

 

管長様がまだ神奈川の了義寺で小僧生活をしておられたころ、あるお檀家でご葬儀があり、そのお宅の初七日の法要に和尚さんの代理としてお経を読みに出かけました。お仏壇の前でお経を唱えていたのですが、来客があって奥様は玄関へ出て行かれました。仏間には時保さんのためにお昼ご飯の準備もすっかり整えられていました。そのそばで赤ん坊がしゃもじを持って遊んでいたのですが、突然おとなしくなったと思ったらおしっこをもらしてしまい、そのおしっこをしゃもじでペチャペチャ…ご機嫌です。しばらく遊んでいたのですが、あろう事かおひつにしゃもじを戻してしまいました。時保さんはあわてて止めようとしましたが、お経の途中でどうにもなりません。

 

そこへ奥様が戻ってこられ「時保さん、ありがとうございました。お礼にお昼ご飯を用意しましたのでたくさん食べて行ってくださいね~。」先程の光景を見ていた時保さんはあわててお腹を押さえて、「今日はおなかをこわしているので…。ごめんなさいっ!」と言って、逃げるようにお寺へ帰ってしまいました。

 

一週間後、二七日の法要にお参りに再び出かけました。今度は赤ん坊がぐっすり眠っていましたので、安心してお経をゆっくりと読むことができました。その日はちょうど寒い日だったので、奥様は温かい甘酒を振る舞って下さいました。時保さんは大好物の甘酒でしたので何杯もお代わりをして、奥様もとても満足されました。「この甘酒は、先週お腹をこわされてお食事を召し上がって頂けなかったので、そのご飯で作ったものなのですよ。」と奥様。時保さんは(シマッタ‼)と思いましたが、あとの祭りです。

 

「人生にはなぁ、いくら避けようと思っても避けることのできない宿命のような出来事はたくさんあるんじゃぞ。だからこそおもしろいんじゃ。」

 

『今良寛』と親しまれた菅原時保管長様の小僧時代の、ほのぼのとした想い出ばなしのひとつとなっています。
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